目に見える目標 - 共著または単著で論文を書く -
共著で国際的な学術雑誌に論文を投稿し、掲載(受理)されることが最終目標です。 何も知らない学生さんと論文を書くのはそれなりに大変なことです。 しかしながら幸いなことに(?)、 計算機理論科学は数学に比べれば歴史も浅く、 未開拓な、または開拓されたばかりの分野が数多くあります。
山崎研では、
- そのようなまだあまり開拓されていない分野で、かつ、
- 実世界に応用を持つ分野
を研究テーマとして選んでいます。そうすることで、
- 比較的短い時間でその分野の最先端に到達することが可能となり、
- さらにその先にあるまだ開拓されていない問題に対して何らかの研究成果を生み出すことが、学生さんでも、可能となります。
- もちろん頑張り次第では、単著で論文を書くことも可能です。
(掲載/受理された論文のリストを学生の業績リストで御覧になれます。)
研究は自分(達)のもの - 手伝うのか手伝ってもらうのか -
単著も可能ですが、過去の例から見ても通常は共著で論文を書くことになります。 つまり先生と学生が共同で作業するわけです。 この共同作業に対し、学生さんがどのように感じているかでタイプ別に分けると おおまかに以下の3つに分類できると思います:
- タイプ A: 自分は先生の手伝いをしている。
- タイプ B: 先生と自分との間に役割分担がきちんとできていて、どちらかがどちらかを手伝っているという関係ではない。
- タイプ C: 先生に自分の研究を手伝ってもらっている。
山崎研では、A→B→Cの意識のステップアップを基本路線としています。 理想的には、各人(学生さんや先生)が、自分が"その研究に携わる主たる人物である"という自覚をもって、 この共同作業が行えればと考えています。
卒研は練習の場 - 結果も大事だが過程が大事 -
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社会に出ると、好む好まざるにかかわらず他人から評価されます。
- プラスのイメージはなかなかつきにくく、
- 同じ量でもマイナスのイメージはなかなかとれません。
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一方社会に出る直前の卒研では、意味のある失敗は許されます。
むしろ何も知らない学生が色々なことにチャレンジして、
その結果多くの失敗を生むことはある意味必然的だと思います。
修士はセミプロ - 過程も大事だが結果が大事 -
修士号を得るためには、当然ですが修士論文を書かなければなりません。 修士論文に書かれる内容としては、 (一般的に言って)オリジナリティのある研究結果が期待されます。 つまり修士論文を書くためには、多くの場合、新しい研究結果が必要になります。 一般的には、研究結果がでない場合は修士論文を書くことが困難になります。 短絡的に言えば、それは修士号を得ることが困難になることを意味しています。 私が修士の時、当時の助手の先生からこう言われました:
「修士はセミプロだよ。」
プロには結果が求められているのです。
英語からは逃げられない - 最新情報は英語が多い -
山崎研では、ほとんどのテキストが英語です。 理由は、英語に慣れる必要があるからです。では何故慣れる必要があるのでしょうか? 先にも述べましたが、修士号を取るためには、オリジナリティのある結果が必要です。 オリジナリティのある結果とは、今まで誰も出したことの無い全く新しい結果です。 新しい結果を生み出すためには、多くの場合、最先端の技術が必要になります。 少なくとも、より新しい技術、知識を知っておくことはとても重要で、不可欠です。 総じて言えることですが、最新情報は英語で書かれている場合が多いです。 ですので、英語力、特に読む力が必要になります。ここでもまた、私が修士の時 お世話になった当時の助手の先生から聞いた話を載せたいと思います:
その助手の先生が学生時代所属していた研究室では、マスターが、 研究室で日本語のテキストを読んでいると、指導教官から怒られたそうです。 理由は、日本語のテキストは、英語のテキストの和訳の場合が(多く?)あり、 テキストに載っている内容は、最先端の技術から3〜5年遅れていて、 さらにそれが翻訳となるとそこから1〜2年遅れることになります。 つまり4〜7年前の内容を勉強していることになり、それは学部で済ませておかないと いけない内容なのです。
研究を仕事としてとらえる - 研究室は職場だ -
山崎研究室では、研究を仕事と考えています。例えば:
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研究のペースを軌道に載せるために、進捗管理を行うことがあります。
進捗とは仕事の進み具合で、進捗管理表に書き込む内容は、例えば、- 今週の目標の達成具合(もし達成できてない場合はその理由を書く)
- 来週の目標
- 来週のスケジュール表
- 過去半年に出した成果
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さらに、web上のカレンダーにゼミを行った日を記入しています。
これにより誰がどれくらいゼミを行っているのかを知ることができます。 -
また原則一人に一つ机が割り当てられます。
机の上が整理されていないと(ごくたまにですが)注意されることもあります。 例外はありますが、総じて仕事の出来る人は、机も整理されています。 -
研究室で先生に無断で宴会をするのも禁止しています。
上司に無断で、職場で宴会をする社員はいないでしょう。 もちろん行事行事の合間に職場でもちょっとしたパーティーをすることはあります。 -
職場では3時におやつを食べたりするところもあります。
山崎研でも、お菓子大臣が先生と学生さんから税金を徴収し、その財源をもとに お菓子大臣がお菓子を買って来て、3〜4時におやつを食べたりしています。 - 山崎研では、原則として在宅勤務は許していません。毎日職場に顔を出しましょう。
仕事のインターフェース - How から What へ -
先生と学生さんで共同で仕事をするわけで、当然先生と学生さんとの間に仕事のやりとりが生じます。
先生が学生さんに何か指示を出す場合、山崎研では:
-
なれないうち(例えば卒研生)は、「何々をしたいので、こうこうこうして下さい」
という形でやりとりを行います。
つまり
- やりたいことは何(What)で、
- それを行うにはこれこれこう(How)しなさい
-
なれてくると(例えばマスター)、「何々をやっておいて」だけになります。つまり
- やりたいことは何(What)です
仕事のインターフェース その2 - 文脈に潜む Why What を探れ -
仕事は何でもそうですが、言われたことをだけをこなしていればいいというわけにはいきません。
他人(上司)から「あいつは言われたことしかできない」と思われては損です。
「何々を処理していてね」といわれたとき、
- 何故(Why)それを処理しなければならないのか?
- 何々を処理する真の目的は何(What)か?
などの背後に潜むWhyやWhatを気にかける習慣はとても大切です。 山崎研では考えるトレーニングの一環としてこのような習慣を大事にしています。
例え話を挙げます:
- 研究室編 -
ある学生が書いてきた文章を、山崎が添削/指導している場面を想像して, 以下を読んで下さい
文章を見て,
山崎 : 「この段落で述べたいことは○○…○だから、良い例かどうかわからないけど、 例えば××…×の部分を△△…△に直してみたらどうかな」
しばらくして,
学生 : 「××…×の部分を△△…△に直して見ました」
山崎 : 「△△…△に直して見て、どうだった? 述べたいことがより伝わるようになったかな?」
学生 : 「…」(考え中のようで沈黙)
山崎 : 「ちょっと読ませて」
読み終った後
山崎 : 「これじゃ述べたいことが伝わらないねー」
学生 : 「一応、言われた通り直したんですけど…」
- 会社編 -
会議前の部長が, 部下にコピーを頼んでいる場面を想像して, 以下を読んで下さい.
たまたまコピー室にいた部下Aとそこに現れた部長,
部長 : 「役員会議があるから、この書類を人数分, 23人だったかな? だから
23部コピーを取っといてくれ」
しばらくして,
部下 : 「23部コピーしておきました, どうぞ」
部長 : 「ありがとう、では会議に行ってくるよ」
会議終了後
部長 : 「君に頼んだコピーは人数ぶんなかったぞー」
部下 : 「一応、言われた通り23部コピーしたんですけど…」
役員の人数が頭には入っていない部長が悪いですが、部下も気が効かないです。 人数を確認するとか, 予備で数枚多くコピーをとるとか方法はいくつかあります。 何よりも考えて行動していない点が良くないです。 部長が普段どれくらいオッチョコチョイか考えてみて判断できなかった点、 つまり、"考える習慣"が無い点が問題なのです。
目に見えない目標 - 考えるトレーニング -
山崎研では、考えるトレーニングが要求されます。 このトレーニングは、短時間では効果が自覚できません。 効果が自覚できるようになるには、十数年かかるかもしれません。 効果が短時間では自覚できない点が、トレーニングの継続を困難にしている理由の一つだと思います。 ですが継続し、習慣づけることが大事です。 このトレーニングの継続は、学生さんが40、50代になったときの大きな財産となるでしょう。 そんなことが実際に起きるか否かは、十数年継続した人しかわからないのです。